私の半生を自身の反省も込めてお話したいとおもいます。
だいぶ長い文章になりますがお付き合いくだされば嬉しくおもいます。
なにかお好きな飲み物をご用意していただき、ゆっくりと読んでくださいね。

ではどうぞ!

 

■両親共に指圧師

1974年 11月14日
母の実家鹿児島県鹿児島市にて生まれる

私の父と母は名古屋にある鍼灸指圧マッサージの専門学校で出会いました。
二人は結婚することに。

両親二人とも指圧マッサージ師という恵まれた環境に生まれまた私は指圧師界の
サラブレッドといってもいいかもしれませんね。。(自分で言ってみる)

 

私が2歳のときに両親が離婚。

母親に引き取られることになります。
母一人子ひとりの「母子家庭」です。

 

私の母親は16歳の頃より指圧マッサージの世界に身を置いている人間です。
幼い頃より母親が働く姿を見て育ちました。

 

私が幼い頃の母親の仕事の仕方というのは、ホテルや旅館の派遣マッサージでした。
仕事の時間は夕方から深夜遅くまで。
その頃の私は夕飯を一緒に食べて母親が仕事に行く姿を見送るといった毎日です。

 

学校が無い日曜などは朝から母親と一緒にいられるので嬉しかったですね。
朝早くから寝ている母親を起こして、どこかに連れてってほしいとねだっていました。
今思うと、もっと寝かせてあげればよかったと思います。

 

物心ついたときには父親の存在はありませんでした。

 

それでも記憶の片隅に父親の影が少しは残っていました。
3人で父親が撮影した8ミリビデオを見ていた記憶が今でも頭に残っています。

 

 

【妄想ばかりしている好奇心旺盛な子供でした】

 

両親と過ごした名古屋から、母の姉夫婦(私にとっては叔母)がいる岐阜県に引っ越します。

叔母には3人の子供がいました。皆私よりも年下です。

男の子一人、女の子二人です。

 

この3人とは私が成人するまで一緒に過ごしたので兄弟のようなものです。
私は4人兄弟の一番上の兄貴的な存在ですね。

 

一人っ子だった私にとってこの3人はとてもありがたい存在でした。

幼いころの私はとにかく絵を描くのが好きな子供でした。

 

 

暇を見つけては広告の裏や落書き帳などに好きな漫画の絵などを描いて遊んでいました。

本当に絵を描くことが好きで、小学校のときは自分で漫画を描いて友達に見せていたりもしていました。

 

母はそんな私の絵心を育ててあげたかったのか、絵の教室に通わせてくれました。

 

母も絵を描くのが好きだったので、毎週日曜日はお寺の幼稚園を教室にしている絵の教室に母と一緒に通うことになりました。

 

マッサージ師として旅館の派遣マッサージの仕事をしていた母。
夜はどうしても遅くなります。

 

帰ってくるのは毎日夜中。

私は寝ています。

 

母と子。すれ違いの毎日をおくる中で、ゆいつ日曜日の「絵の教室」が二人の時間でした。

 

 

 

■デブだった小学校時代

私はいわゆる“肥満児”でした。夜母親は仕事に出かけていているので夜は一人でうちにいます。

 

テレビは見放題。お菓子は食べ放題。夜更かしもし放題という子供にとってはあまり良くない環境でした。

 

そのせいか体重はどんどん増えていきました。それと同じく身長も伸びていったのですが・・
成長期によく食べたいたせいか、立てにも横にもよく成長しました。

 

 

現在私の身長は183cmあります。きっとこのときの栄養過多のおかげですね。

 

 

 

■不良に憧れていた中学校時代

私が中学生だったころに流行っていたものがあります。
たぶん今の若者にはわからないと思いますが、

BE-BOP-HIGHSCHOOL(ビー・バップ・ハイスクール)

 

という不良漫画が流行っていた時期でした。
ちょっと悪いことに憧れをもっている子たちはだいたいリーゼントに

太いズボン(ボンタン)をはいていきがっていたものです。

 

私もその一人でした。今考えると笑えますね・・
まあ、流行とはそういうものです。

 

不良といってもそんなに悪いことをするということではなく、

 

他校生とケンカをしたり盗んだバイクで走り出すくらいです。(盗んだのはうそです)

 

と、まあそんな感じで中学生時代はあまり勉強が好きではなく、

 

あまり勉強もしていなかったので入れる高校がぜんぜんありません。

 

これはまずいぞっと感じた私は、何とかせねば!と猛勉強をすることに。
なんとかして入れる高校が見つかりました。

 

その高校はというと・・

 

 

 

■バイクに夢中だった高校生時代

なんとか進学した高校は定時制の高校でした。

 

昼は働き、夜に学校に行く。

 

あえて働きながら学ぶ道を選んだわけではありませんでしたが、なんとか入った高校です。

 

がんばって4年間の高校生活を送り無事に卒業しました。

 

この学校というのがまた、不良だらけのどうしようもないところでした。

バイクで学校に来るのは当たり前で、上級生にもなると車で登校も。
とにかく全日制の高校生活はそこにはありませんでした。

 

 

私も学校に内緒でコッソリと二輪免許をとってバイクに乗っていました。
(きちんと免許を取って乗っていたのでまじめですよね)

 

学校は毎日6時から授業です。その前に学食で給食をいただきます。
学食のおばちゃんが作ってくれた手料理をいただくわけです。

 

 

毎日夕飯は学校で食べていました。

おいしかったな~・・

年度始めは新入生が多くいるのでメニューも豪華なんですよね。
生徒が多くいるので給食費が豊富だからです。

 

私がいたクラスでも卒業式のときには約半数が退学しているというどうしようもない状況です。

春から冬にかけてメニューが寂しくなっていくのがとても残念でした。

 

 

 

【早くから社会を知る】

こんな感じで高校生活を送っていわけです。

 

そんな感じの高校生。活途中で辞めそうになったときもありましたが、なんとか頑張って通っていました。

 

4年間の高校生活。

 

定時制高校というのは昼間は働くのが当たり前。
何もしていない人もいましたけどね。

私はというと、4年間でたくさんの仕事を経験しましたよ~

ではリストアップしてみますね

 

 

・お菓子工場
・板金屋
・写真店
・ガソリンスタンド
・コンビニ
・土木工事
・建築現場
・屋台のお兄ちゃん(夏祭りの手伝い的な)
・電話工事
・バーテンダー

などなど・・

 

この他にもいろいろとありそうですがすぐに思い出せません。
まあ、どれもあまり長続きしなかったということなんですけどね・・

 

しかし、このときの経験は今思うととても良い経験だったとおもいます。

 

どこの職場でもだいたい自分が一番年下でした。
ほとんどの人は高校を卒業してから就職します。
そこから社会とのつながりが始まるわけです。

 

私の場合は15歳のころより社会に触れ、大人に触れ、人間に触れる機会を得たのです。

最初のころはまったく社会の常識など持ち合わせていません。

 

自分では当たり前だと考えていることも、世間では通用しません。

仕事場の先輩方は私にいろいろなことを教えてくれました。

 

私もいろいろなことを自分に吸収したい!と、たくさんのことを聞き、教えてもらいました。

このときに学んだことがあります。

 

「人は聞けば教えてくれる」

それは私が何もわかっていない若造でどうしようもなかったからかもしれません。

 

でも仕事場の先輩達はそんな私にたくさんのことを教えてくれました。

そして私も恥ずかしげもなくなんでも聞いていました。

 

母によく言われていた言葉がありました。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

とにかく私はいつも知らないことをそのままにするのが気持ち悪い性格になっていたのでしょう。

 

今でも分からないことはすぐ人に聞きます。
いつまでも子供のように「どちてボウヤ」なのです。

 

 

私は自分ができないことを、できる人のことを素直に尊敬しています。

 

たくさんのことを素直に聞くことができた、この若いときの時間は、とても尊いものだったのだなと、今になって思います。

 

 

 

■フリーター時代

高校は定時制で4年間あります。

 

卒業したのは現役高校生より一年遅れの19歳のとき。

 

さて何をやろうか。そのときの私には特にやりたいこともなく、

ただ毎日バイトをして消費して、遊んでという、なんでもない日常を送っていました。

 

 

「今が楽しければいい」という何も目的の無い若者代表のようなかんじです。

 

“人生に目的のない若者”でした。

 

特に何も困っていることがなければ、人間には目標など生まれないものです。
家に対して不満があるわけではなく。社会に対して不満があるわけでなく、。。

 

特に何がしたいわけでもなく・・

 

私も世の中に多くいる“普通の若者”でした。

 

 

 

【目的を持たない若者】

 

高校をなんとか卒業することができました。

19歳の私がそのときに考えていたこととは。。

 

「何も目的が無く、やりたいことも無く、ただなんとなく毎日を生きる・・

 

このままで自分はいいのだろうか・・・」

 

こんな感覚に毎日さいなまれていました。

目的が無いということは苦しいものです。

 

 

それは、

人間というのは「無いものねだり」だからでしょう。

 

あれば、有難さを忘れ。
無ければ欲しがる。

 

本当に困った生き物です。

 

何もしたいことが無いということは別に不幸なことではありません。

 

生活に満たされていて、日常に何も不満がなければ幸せということです。

 

生き物にとって一番の心配事は、自分が死ぬことです。

 

生命体としての自分の「死」が一番の最重要課題なのです。

 

 

「毎日の生活に安心感がある」

 

寒さと暑さから身を守る住まいがあり、お腹が空けばすぐに何か食べることができる。

 

風邪などの病気になっても、すぐに医療を受けることができる。

 

満たされているということが当たり前になると、人はその領域からなかなか出ようとしなくなるものです。

 

満たされていない環境にいると、満たされる環境を作り出すために動き出します。

何とか自分の欲求を満たしたい!と思うものです。

 

 

「何の目的もなく、何もやりたいことがない」

 

そんな若者は世の中にたくさんいます。

 

私もその一人だったのです。

 

 

 

【やりたことが見つかる】

そんな感じでふらふらとした生活が3年ほど続きます。
気づけば23歳になろうとしていました。

 

 

ある日テレビを見ていて衝撃的な場面に出会いました。。

 

それは、当時一部の人たちに流行りだした若者文化。

 

TATTOO(タトゥー)です。
わかりやすくいうと刺青です。

 

幼いころから絵を描くことが好きだったこともあり、

 

「これは自分にとって向いている仕事だぞ!」

と、直感的になにか感じることがありました。
心から「やりたい!」と熱くなり、雷に打たれたような衝撃でした。

 

 

それからというもの、本屋に入っては刺青に関する本を物色するようになります。
当時はまだインターネットが一般に普及していない時代です。
情報といえば「本や雑誌、テレビ」でした。
夢中でした。

 

しかしその夢は長くは続かなかったのです・・・

 

 

 

■引きこもり時代

23歳。このときの私は、実は“引きこもり”でした。

 

期間は約6ヶ月ほど。

 

そのときに真剣にやっていたTATTOOアーティストになるという夢に破れていて

 

自暴自棄になっていました。

 

なんだかんだといってまだ当時はこの業界自体も

「裏の人たち」との繋がりが濃い世界でした。

 

 

どうしてもそういう人たちとの繋がりと付き合いが出てきてしまいます。
そういう関係を望んでいなかった私はこの世界から足を洗う決心をしました。

 

刺青を人に入れる仕事。
人様の体に傷をつけるわけです。だから自分でもその痛みを知る必要があります。

 

いきなり人の体を使って練習するわけにはいきません。
刺青師はまず、自分の足を使って練習するのです。

 

今も私の足にはそのときの練習で入れたものが入っています。
これは私の歴史として一生付き合っていくつもりです。

 

そんなわけで、こんな体では社会に出ることはもう無理だ!

 

と何もする気になれずに自分を見失っていたのです。

 

 

自分のことがとても無意味な存在に感じられて、「誰にも会いたくない。

外にも出たくない・・」という状況でした。

 

 

もう社会復帰できないのではないか。と考える毎日です。

 

自分の存在価値が分からなくなり死にたいと思おうこともありました。

 

そんな自分のことを母は一番心配していたと思います。

 

今思うとそのときが私にとって一番の暗黒時代でした。

 

 

心配して友人なども連絡をしてくれることもありました。

 

自分の気持ちも落ち着き始めてきたころに友人に連れられて外に出ることが出来ました。

 

「今度皆で飲むからケンもこいよ」

 

こんな感じの誘いだったと思います。これがとても嬉しかったです。

なんでもないようなことなんですが、
なにか救われました。

自分のことを気にしてくれている人がいる。会いたいと思ってくれる人がいる。

 

このときに感じました。

「だれかに気にかけてもらえる」
「だれかに必要だと思われている」

これはとても大切なことなのだと。

 

“友人は宝です”

 

※この時期のことは今の私の価値観を育てる良い経験になりました。
そのことはハワイに移住してからも気づくことになります。

 

それについては後半で・・

 

 

 

鍼灸指圧マッサージ師の道に進む

 

6ヶ月におよぶ引きこもり期間を経て無事に心の収容所から出所した私でした。

さてどうしたものか。

 

人間仕事をしないと食べてはいけません。

いつまでも親に心配をかけるわけにも行きません。

 

そんな感じで悶々とした想いのなか、自分の中で新たな発想が。。

 

「よし、指圧マッサージ師になって母親の仕事を手伝おう!」

 

これはすごく自分にとって勇気のいる決断でした。

 

そうして新しく学生生活がスタートしたのです。

 

学校は3年間あります。

 

解剖学や生理学など、体のことや病気のことなど勉強することがたくさんあります。

 

勉強は大変でしたが新しい友人も出来て毎日楽しく過ごしていました。

 

授業ではお互いの体を使って練習し合う授業があります。
足の刺青はサポーターをして隠して授業を受けていました。

 

学校で知り合った何人かの友人には自分の刺青のことを告白しました。

 

最初は

「そんなことを言ったら嫌われるのではないだろうか・・」

 

と心配していたのですが、思い切って言ってみると受け入れてくれるものですね。

 

「こんな硬い学校だからまじめな人ばかりだと思っていたけどケンちゃん面白いね!」

 

なんて言ってくれる人もいました。

 

こんな自分を受け入れてくれたのです。

 

このときは涙が出るほどとても嬉しかったです。

(実際少し泣きました・・)

 

指圧マッサージと鍼灸の学校です。こういう専門学校は年齢層がばらばらです。

下は19歳から上は50歳以上と、いろんな人がいました

 

。普段あまり接することのない年代の人たちとの学校生活はいろんな刺激をもらえました。

 

 

 

■鍼灸指圧マッサージ師になって

 

国家資格に無事合格して指圧師となりました。

 

しばらくは母親とスタッフの方々といっしょに仕事をしていました。
2年ほど経った頃、ホテルの出張マッサージに入っていたホテルが親会社の倒産で連鎖倒産になりました。

 

しばらく閉まっていたそのホテルですが、

新しい会社が入り運営を再開することになりました。

 

そのときに「テナントとしてマッサージ業をやりませんか」というオファーをいただきました。

 

最初は悩みました。「自分がお店をやるなんてことができるのか・・」と。

 

しかし、条件がとても良かったのでお引受けしてやることにしました。

 

このときのことは今でもよく覚えています。

すべてが初めてのことです。お店をオープンさせる。

 

ビジネスをするということの大変さを学ぶ良い経験でした。

 

新しく2店舗目として駅前のホテルの一階にオープンしたお店で仕事をすることに。

 

新しく始めた自分の仕事です。はじめはお客様なってぜんぜん来ません。

 

チラシを新聞折込にいれたり、手配りで配ったり。いろいろとやりました。

 

でもどれもあまりぱっとしませんでした。さてどうしたものか。

 

このときに感じたことは、「もっと勉強をしよう」でした。

 

今の自分はビジネスの初心者なのだから、とにかく勉強だ!ではその方法は?

 

まず本をたくさん読みました。

 

ビジネス書を中心として、接客方法やお客様のホスピタリティ

あげることに特化した内容のものをよく読みました。

 

接客業は笑顔!愛想! 無表情で愛想がないのは仕事をサボっているのと一緒!

 

このことを胸に置いて一生懸命に一人ひとりのお客様へ接客をしました。
具体的には、ご来店されるお客様へのお迎えとお見送り。

 

元気な対応と笑顔でお迎えする。

 

マッサージの施術ではお客様の好みがセラピストに言いやすいよう

な雰囲気づくりをするなど。

 

出来ることはいろいろとやりました。

 

これがお客様に気に入っていただいたようです。

お客様がお客様を連れて来てくださるようになったのです。

 

このときに、人と人の繋がりはとても大切なのだと学びました。

 

 

■ハワイで勉強する機会を得る

 

初めての海外旅行はハワイでした。

 

29歳で結婚

結婚式をハワイで挙げることになりそのためにはじめての海外渡航をしました。

 

そのときから毎年結婚記念日にハワイに行くことに。

 

あるときです。

 

いつものようにハワイに旅行に行くとき、前から気になっていたこと。

やりたいと思っていたことを行動してみようと思いました。

 

それは、ハワイのマッサージスクールを見学してみよう。ということでした。

 

前々からハワイのマッサージ事情に興味を持っていたので

一度ハワイのマッサージスクールに行って、体験入学をしてみたいと考えていたのです。

 

そのときに行ったスクールはハワイではとても有名な学校である、

【ハワイ・マッサージ・アカデミー】です。

 

このときにお会いしたのが学院長であるタツコ・モリモト先生でした。

 

タツコさんの人柄に触れてその場で入学することを決めました。
日本での仕事のことは現場のことは店長とスタッフたちに任せていたので

私自体はすぐに現場を離れてハワイに行くことができました。

 

その当時のスタッフには今も感謝しています。

 

2008年3月からハワイの生活が始まりました。
奥さんと一緒に新しい生活の始まりです。

 

いつかは住みたいと夫婦でもよく話していたハワイでの生活です。

 

最初のころは毎日が楽しくて毎日が旅行気分でした。

 

このときに一つはっきりと自分の中で価値観が変わったことがありました。

 

ハワイはアメリカです。
ハワイに行ったことがあるかたはよくわかると思いますが、

ハワイの人は結構な割合で刺青、TATTOOを体に入れている人が多くいます。

 

これはハワイの文化に古くから刺青の文化がある影響もあるのでしょうが、やはりアメリカだから!

という感じが強いとおもいます。

 

このときに自分の価値観がガラリと変わりました。

 

日本ではまだまだ、刺青=ヤクザ

 

という価値観が強いですが、アメリカでは、ただのファッションの一部なのです。

 

同じものでも、国や環境が変われば評価が変わるのだということを肌で(笑)感じたのです。


ものごとは捕らえ方次第でどうにでもなる。

ようは自分の心がそれを決めているのです。
 

人の悩みの大半は自身の思い込みから来ています。

 

すべては自分の考え方次第なのだということを学びました。

 

ハワイは日本人の観光客が毎日3000人も訪れる人気の観光地です。

 

私たちも結婚式以来毎年のように結婚記念日にはハワイに行っていました。
ハワイという土地はとても不思議な力を持っています。
人を魅了するんですよね・・

 

そんな憧れの土地ハワイで生活をするようになります。

 

学校が始まり毎日が勉強の毎日です。

 

マッサージは人の体を扱うお仕事です。
だから当然解剖学を学びます。ハワイのマッサージ学校の勉強は英語です。
授業自体は日本人の先生が日本語で教えてくれるのですが、内容はすべて英語です。

 

当然ですよね。

 

ハワイ州のマッサージライセンスの試験はすべて英語です。

 

私は英語が得意なほうではありません。

なので必死に勉強して試験に合格するように頑張りました。

 

約9ヶ月の学生生活を経て無事に「ハワイ州マッサージライセンス」を取得することに。

 

このときはとっても嬉しかったです!

(なんせ一度不合格になっていましたから・・本当は内緒です)

 

時期が同じ頃、ハワイの友人からあるお話をいただいていました。


「ある指圧マッサージのお店を経営している人がいるんだけど、あとを継いでやってみないか?」

という内容でした。

 

ハワイ在住の友人が通っていたマッサージ店のオーナー73歳の男性。

聞くところによるとそろそろ引退したがっているらしいのです。

 

そこで私に一度会って話をしてみたらどうか?というお話が来たのです。

 

よく夫婦で話はしていたのです。

 

「ハワイで仕事ができればいいよね」と。

 

このお話が来る前からハワイで起業するためにいろいろと下調べをしてはいました。
新聞に良さそうな物件があったら見にいってみたり、弁護士さんとお話してビザ取得のお話を聞いたりと。

 

お金と時間をかけていろいろと情報収集をしていた頃です。

 

そんなときに突如とやってきたこのお話。

 

条件が良かったのですぐに決めました。

 

 

■ハワイでの成功と挫折

 

ハワイと日本とのやり取りをしながら、ハワイで起業するためにたくさんのことをしなければいけません。

 

まったく初めてのことだらけなので弁護士の方が頼りです。
外国人である私がハワイで仕事をするとなると、まずはビザの取得をしないといけません。

 

アメリカで仕事をするには「就労ビザ」を取得する必要があります。

働くためのビザです。


 

このビザ取得に皆さん、大変な思いをするのです・・・

 

日本人がアメリカに住むにはビザを取得しなければいけません。

「ビザは命」と言っても過言ではありません。

 

 

私の場合は日本に会社があったので、

その会社のハワイ支店に企業内転勤者としてのビザを取得しました。

 

ビザの期限は最初の年が1年間。非常に短いビザです。

 

2009年6月にハワイのカイムキという地区で指圧マッサージ業を開業します。

 

この地区は地元の人たちがよく訪れるところで、レストランなどもたくさんある地域でした。

 

ハワイベストレストランに何度も輝いたことのある「ハレ・ベトナム」も近くにあります。

ここにはよく通いました!

 

マッサージ店の名前は「憩い指圧」

 

前オーナーは20年のキャリアがあり、お客様もたくさんみえます。
私はそのお客様を引き継ぐことになりました。

 

前オーナーのリチャードさん

 

リチャードのお客様に気に入ってもらえるよう

にリチャードのマッサージのやり方を覚える必要があります。
完全にコピーするのは難しいですが、なんとか習って覚えました。

 

マッサージというのは不思議なものです。

 

私がいつも言っていることなんですが、

マッサージは「人に付く」

これは、マッサージという仕事は腕の良し悪しはもとより、

まずは人間性、人となりが大切だということです。

 

ようは、「相性が大切」だということです。

 

なので、私のことを気に入ってくれるお客様もいれば、離れていくお客様もみえました。
こればかりはしかたのないことです。。。

 

今思うと、このときのハワイでの仕事はとてもたくさんの学びと気づきを私にもたらせてくれました。

 

一年なんてあっという間です。

 

2010年5月

ビザの更新時期になりました。

 

私が取得したビザは最初の年に1年間。それから3年間・・と更新していくものでした。

 



最初の更新時期を同じくして、日本に帰る決心をしました。

 

いろいろなことがありました。

 

夫婦の問題。

 

日本の会社の問題。

 

自分自身の心の問題。

 

いろいろな事を考えて、考えて、ビザの延長をすることはせず、

日本に帰国する決心をしました。

 

今思うとその決心は間違ってはいなかったとおもいます。

人はいろいろと言います。

 

「なんだ、やめちゃったの?」

「あれ、帰ってきたんだね!」

 

そうです、帰って来ました。

すべて自分の意思で行動して、自分の意思で決定したことです。
誰かのせいにするわけでもないですし、すべて自分なりにやりきってきた結果です。

 

人というのはいろんな事を言うものです。

そんなことにいちいち気にしてはいられません。

このときも私は多くのことを学びました。

 

この場所でマッサージ業をするのは1年という短い期間でした。

 

 

■離婚を経験する

 

ハワイでの起業と廃業

このときの私はけっこう精神的にも大変な時期を経験しました。
まあ、今となってみれば大したことなど一つもないんですが・・

 

このころの私たちの夫婦関係はというと、正直うまくはいっていませんでした。

 

海外で生活をするということは、いろいろな障害が待ち受けています。

 

 

私の奥さんは日本で仕事を持っている人で、レストランの経営をしていました。
お店にはたくさんのスタッフがいます。
数ヶ月に一度は日本に帰らないといけません。

 

私も日本の会社とのやりとりと、ハワイのお店のことなどがあり、

精神的に疲れていました。

 

夫婦の関係も、すれ違いや求める生活環境の違い。

 

お互いを思いやる気持ちの欠如など・・

このまま夫婦関係を続けるのは難しいということになり、

話し合った結果、離婚することにしました。

 

私が日ごろ心がけている価値観があります。

 

「人というのは環境の奴隷です」

 

人の価値観や感覚というものは、そのときの環境しだいでどうにでもなるし、変わるものです。

 

不幸のどん底だと思っていても、時が経てば、

「ああ、なんであんなつまらないことで悩んでいたのだろう」

と前向きになれる日が来るものです。

 

人は自分の感覚をも疑って考える必要があります。
自分自身の感覚を真に受けてはいけないのです。

 

 

それは、自分の価値観や物事の判断基準というのも、

誰かの「当たり前」を継承しているだけだからです。

 

大体が親や教師、友人たちです。

 

離婚=不幸

 

では無いのです。
失敗ではないのです。

 

このときのことは自分の感覚だけでものをいうのは間違っているかもしれません。

 

彼女にも言い分はあるでしょう。

 

そのときはいろいろと大変でしたが、今では離婚して良かったなとも思います。

 

人生は一度きりです。

 

自分の幸せを。

 

自分の人生を生きる。

 

それでいいのではないかと思います。。

 

 

 

■日本に帰ってからの活動

 

2010年7月

ハワイの会社を整理して日本に戻る用意をする。

 

このときの気分は、

「いつかまたもどってくるぞ!ハワイ!!」

でした。

 

私はまだハワイでの起業をあきらめたわけではありません。

 

以前のように「お店を持ってそこでマッサージ業をする」

というわけではありませんが、ハワイでのビジネスはまだ終わったわけではないのです。

 

日本に帰ってからもハワイとの関係は続きます。

 

今も年6回ほどハワイに行ってさまざまな活動をしています。

 

ハワイではたくさんの出会いがありました。

 

中でも印象的な出会いはリッキーとの出会いです。

 

 

【リッキー】
本名:浅井力也 

世界中で活躍する画家です。

 

彼とはハワイにある聖マキキ教会というクリスチャン教会でした。

 

幼い頃より脳性まひで体が不自由な彼。
しかし彼にはとてつもないパワーがあるのです。

 

それは彼の作品を見ればすぐにわかります。

 

彼は自分で自由に歩くことや話すことができません。
食事をするときもほとんど飲むようにしてしか食べることができません。

 

 

健常者には当たり前にできることがリッキーにはできないことが多いです。

 

だからといってリッキーは不幸ではないのです。
毎日を楽しく、笑顔で生きています。

 

それはリッキーが人生を楽しむことに関してプロフェッショナルだからだとおもいます。

 

リッキーは今まで怒りの感情を出したことがありません。

 

人は怒りの感情で自分自身を傷つけます。

 

人を傷つけるのと同時に、自分のことをも傷つけてしまうのですね。

 

リッキーに出会い教会に通うようになり、

私自身の心もいつしか穏やかになっていくのがわかりました。

 

やはり人は人でしか救うことはできないんですね。

 

 

■洗礼を受けクリスチャンとして生きる決心をする

2011年 3月27日

ハワイマキ教会の黒田朔牧師の最後の洗礼者として、

アラモアナビーチにて洗礼を受けクリスチャンとなる。

 

クリスチャンとして生きる決心をしたのは、

自身に信仰を持とうと考えたからでした。

 

私が思うに、人には信仰が必要です。

これはなにも、宗教に固執したことではありません。

 

人には自分が信じて、仰ぐものが必要なんです。

子供のときの親の存在はまさに神です。

 

生まれたばかりの子供は何もわかりません。
見るもの触れるものすべてが初めて。
それらを一つずつ教えてもらう必要があります。
教えてくれて、守ってくれて、自分が心から頼れる存在。

 

親は子供にとってはすべてを与えてくれる『神』なのです。

 

自分のことを絶対に裏切らないという安心感。

 

子供のときに必要な愛情はまさにこれです。

 

世界中の人すべてが敵になったとしても

絶対に自分のことを裏切らない、見捨てない存在。

 

まさしく神です。

子供に最大限与えないといけない愛情というのはこういうものなのです。

 

これが、大人になると皆無くしてしまいます。

大人といえど、心の寄りどこりは必要です。

 

だからといっていつまでも自分の親に頼っているわけにはいきません。

 

では、その役目はだれがするのか。

 

恋人? 奥様? 旦那様? ??

 

そのときの関係がとても良いものであったとしても、

その関係は永遠ではないかもしれません。

 

子供のときの親に対する感覚は自分のすべてをさらけ出せる存在。

最高の安心感と多幸感を感じられる存在です。

 

大人にもそんな存在が必要なんです。

 

大人になっても子供のときと同じように

自分のすべてを受け入れてくれる存在が。

 

人間を超越している存在である”神様”が一番しっくりくるんでしょうね。

 

世界中にはたくさんの国があります。
その国にはその国の神様がいます。

 

どんなところにいっても人間というのは神の存在を

感じないと生きてはいけないように、精神が創られているのでしょう。

 

本当に不思議です。

 

宗教と神様の話になるとこの場では長く(もう充分長い?)

なってしまうのでこの辺でやめておきます。

 

とにかく私が言いたいのは、

 

人には『自分が心から信じ、仰ぐもの』が必要なのです。

 

これがしっかり持てている人というのは強い精神を持つことができます。

 

あなたに「クリスチャンになれ」と言っているのではありません。

 

『信仰を持つ』

ということは何も特定の宗教に帰依しなさいと言っているのではなく、

自分の人生をかけてまでも成し遂げたいこと。
なるべく大きな目標意識をもって、それに対してひたむきに進むこと。

 

それを知ってほしいのです。

 

私が【世界の指圧師KEN】として活動している目的は、

 

人というのは

 

『人に必要にされたとき』
『人に笑顔をもらったとき』
『人に感謝されたとき』

 

この瞬間に自分の存在価値を認めるように精神がプログラミングされています。

 

人はみな褒められることが大好きです。
人にみな感謝されることが大好きです。
人はみな自分のことを好きになるべきなのです。

 

私の得意分野は指圧師としてのスキルで人を

幸せにすることだと信じて疑っていません。

 

絶対的な自信がありますし、これは私のミッション(使命)でもあります。

 

私は多くの人に『マッサージスキル』を身につけてもらい、

隣人を癒す人になってもらいたいと考えています。

 

人は人でしか救うことはできません。

 

マッサージを人にしてあげると、

喜ばれます。

 

感謝されます。

 

その感謝の気持ちに、あなた自身が癒され救われるのです。

 

この感覚をマッサージ師だけのものにするのは、、、

 

もったいない!

 

病の元はすべて小さな心身のストレスです。

 

川の源流はとても小さいです。
下流に行くにしたがって大ききな川を形成します。
最終的には海に繋がるのです。

 

ストレスの源流、源泉にふたができるのは身近な人による癒しの手です。

 

現在の私は悩めるマッサージセラピストに、
何とかしてこの業界で活躍してもらいたい!



そのためのノウハウや技術の提供をする活動。


それと、


人が人を癒すことの素晴らしさ!

セラピスト以外の一般の人にも、マッサージスキルの素晴らしさを伝えることに情熱を注いでいます。



私には夢があります。


日本に癒しのマッサージの国家資格を作ることです。

リラクゼーションのマッサージライセンスを国が発行する!

本気で人を癒す道を志した人が、胸を張って仕事ができるように!



癒しのマッサージは医療の最前線です。







 


 

2012年 8月

山元 健

 

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

私の半生をこれでもか!とお話させていただきました。
中には私に対して嫌悪感を持った人もいるかもしれません。

 

でも、それでいいのです。

 

ひとの価値観は人それぞれ。
すべては正解で間違いなど無いのです。

 

ただこれだけは言わせてください。

 

【すべては思い込みです】

 

人間の感覚というものは思い込みがほとんどです。

 

どうせ思い込みで気分が変わるのならば、良いように利用しようではありませんか。

 

あなたの人生が豊かになりますように。

 

 

関わった人々の笑顔のなかにありますように。

 

 

・肩のマッサージ  ・首のマッサージ  ・お尻のマッサージ

 

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